星読みブログ

散らかっていく情報と好奇心

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自分の基本性質を活かして生きる。

占星学を学び出してここを意識するようになった。そして周りを観察していると、ホロスコープで読み取れるような動きから全く違う生き方をしている人にまだ出会っていない。

ということは、意識的か無意識的かは違いがあっても、占星学から読み取れる内容が、TVである星座別の占いよりは遥かに自分を知ってそこを活かすには信憑性があるような気がしている。星読みのセッションしている時に「当たっている」と喜ぶ方々の反応を見ても、懐疑的な面からこの話を自分ごとで聞いてみよっかなと思うきっかけになっているのは違いない。

さて、昨日より自分のホロスコープから深掘りする方法を学んだんだけど(相性や仕事を見るのに使える)、そこですら私の双子座的な要素が足され、ますます双子座とは、、、と考えずにはいられない。

双子座の特性の柔軟な風のような動きは、占星術の本によると「犬の散歩」「ゴミ集め」と表現されていた。

「目的もなく、さまざまな方向にマルチに拡大する知性、好奇心、情報活動」「シンプルなものをできるだけ多彩なものに分解していくことが重要なので、元が同じものでも、分岐した後はそれらに共通点がないように見えるというバラエティを作り出すことに興味を抱きます。」「別化がいきすぎると自分も別化していく」〜西洋占星術Ⅱ 松村 潔〜

実体験を伴っている者からすると本当にそうだと怖いくらいに双子座の興味関心の向かう先には着地点がない。これが占星学に出会うまでの自分の状態だったんだと文章化されてみる自分の特性に怖さと共に安堵している。だってわかっていたら対処できるからだ。

この安堵は根拠のない安堵だけではなくて、私のホロスコープの中に双子座と射手座のオポジションがあるからだ。散々に散らかったものを統一される。双子座の別化に射手座の類化がとてもいい役割をする。

ただいつも喋りすぎてしまうのは、単に双子座だからという事に加えてこの射手座の要素が加わっていたからなんだと、まるで自分を別の人格の登場人物として回想している自分に「別化」を感じる。柔軟宮同士のセットの特性をひしひしと感じながら、また昨日学んだ自分の基本姿勢の深掘りの学びに戻ろうと思う。

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